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千葉地方裁判所 平成7年(行ウ)28号 判決 1996年12月13日

主文

一  被告が平成七年二月八日付けで原告に対してした別紙物件目録記載の一及び二の土地が都市計画法四三条一項六号ロの規定に適合しないことを確認する処分を取り消す。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

主文と同旨

第二  事案の概要

一  争いのない事実並びに〔証拠略〕によって認定できる事実

1(一)  別紙物件目録記載の一及び二の土地(以下「本件各土地」という。)の元番の土地である印旛郡白井町根字東向六五九番の宅地(登記簿上の地目宅地、同地積四畝四〇歩(一四五四・五四m2))は、もと宇賀武が所有しており、その現況は宅地であった。

(二)  すなわち、宇賀武は、六五九番の宅地上に、母屋、平家建離れ(約一四坪)、同(約一八坪)、台所付平家建離れ(約一四坪)及び倉庫兼居宅の五棟の建物を所有し、農業を営みながら、六五九番の土地を一体として宅地として使用していた。(〔証拠略〕)

そして、宇賀武は、六五九番の宅地の南西側部分を庭とし、その隣地(六七〇番)との境界にそって杉を植え、また、庭木として竹を植えて農業用に利用していた。竹は小さな竹藪を形成し、宇賀武は竹の子を取るなどしていた。(〔証拠略〕)

2(一) 千葉県知事は、昭和四五年七月三一日、六五九番の宅地を含む付近一帯を市街化調整区域と定めて都市計画区域に指定した。

(二) その当時においても、六五九番の土地は依然として宅地であり、宇賀武が前記五棟の建物を所有していた。

3 字賀武は昭和五一年二月二日に死亡し、農業を営む子の宇賀鶴男が六五九番の宅地を相続した。

その当時においても、六五九番の土地は宅地であった。

4 宇賀鶴男は、昭和五三年一一月二四日、固定資産税軽減のため、六五九番の宅地の前記南西側部分を、それがすでに山林に変更しているとして(〔証拠略〕)、六五九番の宅地から分筆して同番二の土地(四八七m2)とし、その地目を山林とした。残地は六五九番一宅地九六六号七六平方メートルとなったが、両土地の境界を示すものは設置されなかった。

5 宇賀鶴男は、昭和五五年六月五日、六五九番一の宅地を同番一の宅地(八五〇・一三m2)と同番三の宅地(一一六・六三m2)に分筆し、また、六五九番二の土地を同番二の土地(二三九m2)と同番四の土地(二四八m2)に分筆した。

6 そして、昭和五五年九月八日、宇賀鶴男は、六五九番三の宅地と同番四の土地を、借入金返済のために、不動産業を営む河内保に売却したが、買戻しができる約束であったことから、右売却後も引き続いて売却地を自己所有にかかる六五九番一及び二の土地とともに一体として使用していた。

7 しかし、宇賀鶴男は、その後昭和五七~五八年ころに至り、河内保から買戻しに応じない旨を言われたため、また、そのころ自己がタクシー運転手として働きに出ていたこともあって、以後、右売却地の手入れをしなくなった。

河内保は、買い取った六五九番三の宅地と同番四の土地をいずれ宅地として転売するつもりであったが、土地の手入れなどはせず、そのままに放置していた。

8 時がたち、平成元年二月一日、宇賀鶴男らは六五九番一の宅地を同番一の宅地(八二三・八五m2)と同番五の宅地に分筆し、河内保は、六五九番三の宅地を同番三の宅地(一〇九・二八m2)と同番六の宅地に、六五九番四の土地を同番四の土地(二三六m2)と同番七の土地にそれぞれ分筆して、右六五九番五ないし七の土地を道路用地とした。

9 そして、平成元年二月二八日、河内保は、六五九番三の宅地と同番四の土地を原告に売却した。

10 原告は、平成元年七月ころ、買い受けた六五九番三の宅地と同番四の土地上にそのころ生い茂っていた竹を伐採するなどして家屋が建築できるように整地をし、かつ、宇賀鶴男らが所有する同番一及び二の土地との境界にそってブロック塀を設置した。(〔証拠略〕)

11 原告は、平成五年七月一九日、六五九番三の宅地を同番三の宅地(五二・七二m2)と同番八の宅地(五六・五五m2)に分筆し、また、六五九番四の土地を同番四の土地(三七m2)、同番九の土地(六二m2)及び同番一〇の土地(一三七m2)に分筆した。

12 平成五年一〇月一八日、原告は、六五九番四の土地の地目を山林から宅地に変更した上(原因同年一〇月一日地目変更)、同日、六五九番三の宅地と六五九番四の土地を高橋広則らに分譲売却した。しかし、同番八の宅地は売却されず、また、同番九の土地及び同番一〇の土地(本件各土地)は売却もされず、地目も変更されなかった(山林のまま)。

13 これらの土地のむおよその位置関係は別紙土地所在図のとおりである。

14 千葉県印旛郡白井町長は、本件各土地に対し、平成六年度以降、登記簿上の地目は山林であるものの、課税地目を宅地として固定資産税を課している。(〔証拠略〕)

15(一) 原告は、千葉県知事から権限を委任された被告に対し(千葉県事務委任規則一二条三〇号ワ)、平成七年一月一八日付けで、その所有にかかる六五九番八の宅地、同番九の土地及び同番一〇の土地が都市計画法四三条一項六号ロの規定に適合すること、すなわち、右規定にいう「市街化調整区域に関する都市計画が決定され……た際すでに宅地であった土地」(以下、これを「既存宅地」という。)にあたることの確認を申請した。

(二) これに対して、被告は、同年二月八日付で、六五九番八の宅地については都市計画法四三条一項六号ロの規定に適合することを確認したものの、同番九の土地及び同番一〇の土地(本件各土地)については、いずれもこれに適合しないことを確認する処分(本件処分)をした。

(三)  そこで、原告は、同年二月二四日付けで、都市計画法五〇条一項に基づき、本件処分につき千葉県開発審査会に審査請求をしたが、同審査会は、同年七月二八日付けで、右審査請求を棄却する裁決をした。

16 原告は、本訴係属中の平成八年七月八日、本件各土地についても、平成元年七月一日地目変更を原因として、その地目をいずれも宅地に変更した。(〔証拠略〕)

二  争点(本件各土地が既存宅地にあたるか。)

1  原告の主張

(一)都市計画法四三条一項六号ロにいう「市街化調整区域に関する都市計画が決定され……た際すでに宅地であった土地」すなわち「既存宅地」にあたるか否かは、当該土地が市街化調整区域とされた時点において宅地であったか否かにより決すべきであり、かつ、これをもって足り、その後継続して宅地であったことは必要でないと解すべきである。

本件各土地の元番である六五九番の宅地は、昭和四五年七月三一日に市街化調整区域とされたのであるが、その時点において六五九番の土地全体が宅地であったことは明らかであるから、本件各土地はいずれも既存宅地に該当するものである。

(二) 仮に被告主張のように、既存宅地にあたるための要件として、当該土地が市街化調整区域とされた時点において宅地であったことのほかに、その土地がその後継続して宅地であったことを要するとしても、本件各土地は、市街化調整区域とされた時点から現在に至るまで継続して宅地であったから、既存宅地にあたるものである。

すなわち、本件各土地は、もともと六五九番の宅地の一部であったものであり、宅地として利用されていたものであって、本件各土地には庭木としての竹が植えられており、昭和五九年ころまでは所有者である宇賀鶴男が竹の子を取るなどして手入れをしていた。その後、宇賀鶴男が本件各土地を完全に他に売却してしまったこともあって、一、二年の間手入れが悪く、竹が生い茂った時期もあったが、宅地としての利用状況そのものには何ら変化はなかったのである。当時の所有者である河内保が本件各土地に意図的に竹木を植栽したことはなく、また、地目を変更するほどに人為的に手を加えたこともなかったのである。

たしかに、宇賀鶴男は昭和五三年一一月二四日に六五九番の宅地を同番一の宅地と同番二の宅地に分筆し、その際、本件各土地の元になる同番二の土地の地目を山林に変更しているが、これは、宇賀鶴男に対する固定資産税が多額に上ったため、町役場に相談したところ、地目を山林にすればよいとの示唆を受けたため、分筆してその地目を山林にしたにすぎず、真実六五九番二の土地が山林になっていたわけではなく、また、竹木を生育させることを目的として地目を山林に変更したわけでもないのである。宅地としての使用形態には何ら変化はなかった。

以上のとおりで、本件各土地は、市街化調整区域とされた時点から現在まで継続して宅地であったから、既存宅地にあたるというべきである。

(三) いずれにしても、本件各土地が既存宅地にあたらないことを確認した被告の本件処分は違法であり、取り消されるべきである。

2  被告の主張

(一) 都市計画法四三条一項は、その本文で、「何人も、市街化調整区域のうち開発許可を受けた開発区域以外の区域内においては、都道府県知事の許可を受けなければ、第二十九条第二号若しくは第三号に規定する建築物以外の建築物を新築し、又は第一種特定工作物を新設してはならず、また、建築物を改築し、又はその用途を変更して第二十九条第二号若しくは第三号に規定する建築物以外の建築物としてはならない。」と規定し、ただし書で、「ただし、次に掲げる建築物の新築、改築若しくは用途の変更又は第一種特定工作物の新設については、この限りでない。」と規定している。

そして、同項六号は、「次に掲げる要件に該当する土地において行なう建築物の新築、改築又は用途の変更」と規定し、そのロで、「市街化調整区域に関する都市計画が決定され……た際すでに宅地であった土地であって、その旨の都道府県知事の確認を受けたもの」と規定している。

(二) 右都市計画法四三条一項六号ロにいう「すでに宅地であった土地」すなわち「既存宅地」とは、当該土地が市街化調整区域とされた時点において宅地であり、かつ、それ以降も現在に至るまで継続して宅地である土地をいうものと解すべきである(昭和五七年九月三〇日建設省千計民発第二一号「都市計画法第四十三条第一項第六号の既存宅地の確認について」)。なぜなら、市街化調整区域内における既存宅地の制度は例外的に認められた制度であり、市街化調整区域はあくまでも市街化を抑制すべき区域であること(都市計画法七条三項)に鑑みると、右例外は狭く解釈すべきであるからである。

(三) そして、既存宅地にあたるか否かは、土地登記簿、固定資産課税台帳、航空写真、農地法による農地転用許可書、宅地造成等規制法等に基づく宅地的土地利用を証する書類、公的機関等の証明書等の資料と、これに、市街北調整区域とされた時点後確認申請時に至るまでの土地利用の経過及び土地の現況を加えて判断するものとされている(昭和五七年七月一六日建設省計民発第二八号「市街化調整区域における開発許可制度の運用について」及び昭和五七年七月一六日建設省計民発第三一号「市街化調整区域における開発許可制度の運用について」)。

(四) そこで、本件各土地につき、右資料等によって既存宅地にあたるか否かを検討すると、以下のとおりとなる。

(1) 土地登記簿

本件各土地が既存宅地にあたるか否かは、各筆ごとにその要件を検討すべきところ、本件各土地は、いずれも昭和五三年一一月二四日に地目が山林に変更されており、以後本件処分時まで登記簿上の地目は継続して山林であった。

(2) 固定資産課税台帳

本件各土地は、昭和五四年度分から平成五年度分まで継続して山林と評価されて課税されてきた。

地方税法上、固定資産税の課税主体である市町村長は、固定資産評価員又は固定資産評価補助員をして毎年一回実地調査をさせなければならないとしており(地方税法四〇八条)、したがって、固定資産の評価は、当該固定資産の実態を反映したものということができる。

なお、本件各土地は平成六年度分から宅地として課税されているが、これは、後記のとおり、原告が家屋を建築したからである。

(3) 航空写真

本件各土地には昭和五三年以降徐々に木々が繁茂し、特に昭和六〇年代に入ってからは木々によって地面が見えないほどになっており、明らかに山林となっている。

(4) 土地利用の経過及び土地の現況

本件各土地は、それが六五九番の宅地の一部であったときからもともと宅地性を有しなかったものであり、本件各土地を含む六五九番四の土地が河内保に売却された時からは、宇賀鶴男の所有地である同番一及び二の土地から完全に分断されて独立した存在となり、遅くとも昭和五七年~五八年以降は竹が生い茂って山林となっていたのである。

もっとも、現在では本件各土地は宅地となって二棟の家屋が建っているが。これは、原告が本件処分前の平成元年ころに都市計画法の手続を経ずに無許可で開発行為を行ない、本件各土地を宅地化し(被告はこれについて是正指導をしている。)、さらに平成五年ころに二棟の家屋を建てたからである。

第三  争点に対する判断

一  本件各土地が既存宅地にあたるか。

1(一)  市街化調整区域は、市街化区域と異なって、市街化を抑制すべき区域であり(都市計画法七条三項)、市街化調整区域内で開発行為(主として建築物の建築等の用に供する目的で行なう土地の区画形質の変更(同法四条一二項))をしようとする者はあらかじめ都道府県知事の許可を受けなければならないものとされており(同法二九条)、そしてその開発許可は厳しく制限されている。(同法三三条、三四条)

都市計画法四三条一項は、さらに市街化を抑制するという目的を達成するため、「何人も、市街化調整区域のうち開発許可を受けた開発区域以外の区域内においては、都道府県知事の許可を受けなければ、第二十九条第二号若しくは第三号に規定する建築物以外の建築物を新築し、又は第一種特定工作物を新設してはならず、また、建築物を改築し、又はその用途を変更して第二十九条第二号若しくは第三号に規定する建築物以外の建築物としてはならない。」と規定して、市街化調整区域内で行なう建築物の建築等についても規制をしており、市街化調整区域内で行なう建築物の建築等についても都道府県知事の許可を受けなければならないものとし、かつ、その二項において、その許可は開発行為の許可基準の例に準ずるものとしている。

(二)  しかし、他方において、都市計画法四三条一項ただし書は、「ただし、次に掲げる建築物の新築、改築若しくは用途の変更又は第一種特定工作物の新設については、この限りでない。」と規定し、昭和四九年に新設されたその六号は、「次に掲げる要件に該当する土地において行なう建築物の新築、改築又は用途の変更」と規定して、その要件イは「市街化区域に隣接し、又は近接し、かつ、自然的社会的諸条件から市街化区域と一体的な日常生活圏を構成していると認められる地域であっておおむね五十以上の建築物が連たんしている地域内に存する土地」と、その要件ロは「市街化調整区域に関する都市計画が決定され、又は当該都市計画を変更してその区域が拡張された際すでに宅地であった土地であって、その旨の都道府県知事の確認を受けたもの」と規定している。これは、市街化調整区域内の土地であってもその土地が市街化区域と同一の日常生活圏を構成する一定規模以上の集落内にあり、しかも、市街化調整区域とされた時点においてすでに宅地となっている土地についてまで一律に市街化調整区域としての建築等の制限を行なうのは実情に沿わないことが考慮されたからである。

(三)  これによれば、また、右都市計画法四三条一項六号が「次に掲げる要件に該当する土地」と規定して「宅地」と規定していないことをも考えると、都市計画法四三条一項六号ロに規定された「すでに宅地であった土地」(既存宅地)とは、当該土地が市街化調整区域となった時点において宅地であった土地をいうものと解するのが相当である。したがって、当該土地がその後継続して宅地であったことまで必要でないが、しかし、市街化調整区域を定めた趣旨に鑑みると、市街化調整区域とされた時点において宅地であってもその後所有者が積極的に土地の現況を変更して非宅地化し当該土地が非宅地となった場合には、もはや以後は既存宅地にはあたらないものと解すべきである。

(四)  これを本件についてみると、元の六五九番の宅地が市街化調整区域となった時点において、全体として「宅地」すなわち「建物の敷地及びその維持若しくは効用を果たすために必要な土地」であったことは、前記認定のとおりであり、しかも、本件全証拠によるも、本件各土地の所有者がその後積極的に竹木を植栽するなどして「山林」すなわち「竹木の生育する土地」にしたことを認めるに足る証拠はないから、そうとすれば、本件各土地は既存宅地にあたるというべきである。

これと異なる本件処分は取消しを免れないものである。

2(一)  これに対し、被告は、前記のとおり、「既存宅地にあたるためには、当該土地が市街化調整区域とされた時点において宅地であり、かつ、それ以後も継続して宅地であることを要する。」旨を主張し、「都市計画法第四十三条第一項第六号の既存宅地の確認について」(昭和五七年九月三〇日建設省千計民発第二一号建設省計画局宅地開発課民間宅地指導室長から千葉県都市部長あて回答)を引用する。

たしかに、右文書には、「市街化調整区域とされた時点に宅地であり、かつ、それ以降現在に至るまで継続して宅地であることを要する」と記載されている。

(二)  しかし、「市街化調整区域における開発許可制度の運用について」(昭和五七年七月一六日建設省計民発第二八号建設省計画局長通達)の記の二「法第四十三条第一項第六号の規定の運用について」は、別紙一のとおりであり、その(2)「同号ロの要件について」のイには、「確認に当たっての基本的資料は、土地登記簿、固定資産課税台帳によるものとするが、その他の諸資料、状況等に照らし市街化調整区域とされた時点における土地の現況が宅地であったことの蓋然性が極めて高いと認められる土地については、確認を行って差し支えない」と記載されており、また、「市街化調整区域における開発許可制度の運用について」(昭和五七年七月一六日建設省計民発第三一号建設省計画局宅地開発課民間宅地指導室長通達)の記の一二「局長通達記二の(2)のイ「確認に当たっての基本的資料」について」は、別紙二のとおりであり、その(1)の本文には「「その他の資料、状況等」とは、次に掲げる資料等をその例とし、これらの資料等を総合的に勘案したうえで、確認を行うこと」と記載され、そのホには「市街化調整区域とされた時点後確認申請時に至るまでの土地利用の経過及び土地の現況」と記載されている。

ところが、前記(一)記載の「都市計画法第四十三条第一項第六号の既存宅地の確認について」(昭和五七年九月三〇日建設省千計民発第二一号建設省計画局宅地開発課民間宅地指導室長から千葉県都市部長あて回答)は、別紙三のとおりであり、それは、右昭和五七年七月一六日建設省計民発第三一号建設省計画局宅地開発課民間宅地指導室長通達の記の一二(1)ホの趣旨についての照会に対する回答であるが、そこでは「貴見(1)のとおりである。」と回答して、市街化調整区域とされた時点以降現在に至るまで継続して宅地であることを要するとする(2)の見解を否定しながら、引き続いて、「当該土地は、市街化調整区域とされた時点に宅地であり、かつ、それ以降現在に至るまで継続して宅地であることを要するものと解される」と回答している。はなはだ難解な回答である。

(三)  右を合理的に解釈すると、当該土地が既存宅地にあたるか否かは、当該土地が市街化調整区域とされた時点において宅地であったか否かにより決するものであり、その判断は、土地登記簿及び固定資産課税台帳を基本的資料とし、前記昭和五七年七月一六日建設省計民発第三一号建設省計画局宅地開発課民間宅地指導室長通達の記の一二の(1)のイからニまでに掲げられた資料を補助的資料として、かつ、同ホに記載された状況すなわち「市街化調整区域とされた時点後確認申請時に至るまでの土地利用の経過及び土地の現況」をも勘案して、総合的に判断すべきことを定めたものと解するのが相当である。

そうとすれば、被告が提出する通達等によっても、なお被告の前記主張はにわかに採用し難いところである。

3(一)  なお、仮に被告主張のとおり、「既存宅地とは、市街化調整区域とされた時点において宅地であり、かつ、それ以降も現在に至るまで継続して宅地である土地をいう。」と解するとしても、本件各土地は市街化調整区域とされた昭和四五年七月三一日から現在に至るまで継続して宅地であると認められる。

(二)  すなわち、前掲証拠によれば、次の事実が認められる。

(1) 宇賀武が所有者であった昭和四五年四月二三日撮影の航空写真(〔証拠略〕)等によれば、六五九番の宅地上には、前記認定のとおり、母屋のほかに、平家建離れ(約一四坪)、同(約一八坪)、台所付平家建離れ及び倉庫兼居宅の五棟の建物が存在し、その内の母屋、平家建離れ(約一四坪)及び倉庫兼居宅は現在の六五九番一の宅地上に存し、平家建離れ(約一八坪)及び台所付平家建離れはおおむね現在の同番三、同番八、同番四及び同番九の土地上に存していた。(〔証拠略〕)

そして、六五九番の宅地の南西側部分に庭があり、その隣地との境界にそって杉が植えられ、また、庭木としての竹が植えられており、それはおおむね現在の同番二及び一〇の土地上にあり、竹は小さな竹薮を形成していた。

(2) 宇賀鶴男が所有者であった昭和五三年二月一日に撮影された航空写真(〔証拠略〕)にも、ほぼ同様の状態が撮影されている。

(3) 六五九番の宅地が同番一の宅地と同番二の土地(登記簿上の地目は山林)に分筆された昭和五三年一一月二四日の約一年後である昭和五四年一一月一四日に撮影された航空写真(〔証拠略〕)にも、ほぼ同様の状態が撮影されているが(右両土地の境界を示すものは設置されていない。

(4) 六五九番三の宅地と同番四の土地とが河内保に売却された昭和五五年九月八日の数日後である同年九月一三日に撮影された航空写真(〔証拠略〕)にも、ほぼ同様の状態が撮影されているが、売却された範囲を区画する塀などは設置されていない。

(5) 河内保が六五九番三の宅地と同番四の土地を所有していた昭和六〇年一月二日に撮影された航空写真(〔証拠略〕)にも、ほぼ同様の状態が撮影されているが、河内保が手入れをしなかったため、本件各土地の部分すなわち現在の六五九番九及び一〇の土地上には竹がかなり生い茂っている。

(6) 昭和六一年六月九日に撮影された航空写真(〔証拠略〕)及び同月一一日に撮影された航空写真(〔証拠略〕)にも、ほぼ同様の状態が撮影されており、本件各土地の部分には竹がかなり生い茂っている。なお、前記平家建離れ(約一八坪)はすでに取り壊されている。

(7) 昭和六三年一月二八日に撮影された航空写真(〔証拠略〕)にも、ほぼ同様の状態が撮影されており、本件各土地の部分すなわち現在の六五九番九及び一〇の土地を越えて現在の同番四、同番三及び同番八の土地上にまで竹がかなり広く生い茂っている。なお、すでに前記台所付平家建離れは取り壊されている。

(8) 河内保が六五九番三の宅地と同番四の土地を原告に売却する直前である平成元年一月二一日に撮影された航空写真(〔証拠略〕)にも、ほぼ同様の状態が撮影されている。

(9) 六五九番三の宅地と同番四の土地が原告に売却された平成元年二月二八日の後である同年一〇月一五日に撮影された航空写真(〔証拠略〕)には、原告に売却された土地すなわち現在の六五九番一〇、同番九、同番四、同番三及び同番八の土地上に生い茂っていた竹はきれいに伐採されて整地されており、同番一及び二の土地との境界にそってブロック塀が設置されている状況が撮影されている。

(10) 平成二年一月二日に撮影された航空写真(〔証拠略〕)にも、同様の状態が撮影されている。

(11) 平成六年二月二七日に撮影された航空写真(〔証拠略〕)には、六五九番三の宅地、同番四の宅地及び同番八の宅地上に二棟の家屋が建っている状態が撮影されているが、本件各土地すなわち現在の六五九番九及び一〇の土地上には建物は建っておらず、更地のままである。

以上の事実が認められる。

(三)  そこで、本件各土地が市街化調整区域とされた昭和四五年七月三一日以降現在まで継続して宅地であるといえるか否かについて検討する。

たしかに、前記認定のとおり、<1>本件各土地の登記簿上の地目が昭和五三年一一月二四日に山林に変更され、以来本訴係属中の平成八年七月八日まで山林であったこと、<2>固定資産課税台帳上も昭和五四年度から平成五年度まで山林として課税されていたこと、<3>本件各土地の所有者は、昭和五五年九月八日以降は河内保であり、昭和五七~五八年ころ以降は宇賀鶴男においても本件各土地を自己の所有地と一体として使用する意志はもはやなく、本件各土地を含む当時の六五九番四の土地及び同番三の宅地は宇賀鶴男の所有地から分離独立した存在となってしまったこと、<4>本件各土地上には、遅くとも昭和六〇年ころから平成元年七月ころまでの間、竹がかなり生い茂っていたこと、等は否定し難いところである。

しかし、ある土地が宅地であるか否かは、単にその土地に竹木が生育しているか否か等の現況のみによって判断すべきものではなく、その土地の現況とともに、その土地の利用目的をも併せて考慮すべきものである。

これを本件についてみると、たしかに、右のとおり、一時期本件各土地に竹がかなり生い茂っていたことは否定できないけれども、しかし、これは所有者である河内保が手入れを怠って放置していたことによるものであって、同人において本件各土地を竹木の生育場所として使用しようとする意図のもとに放置していたわけではなく、しかも、その竹の生育は自然の繁殖にまかせて広がって行ったものにすぎず、容易に元の状態に復元することが可能であったと推認されること、また、本件各土地に竹木が積極的に植栽されたことはなかったこと、等を考慮すると、本件各土地は市街化調整区域とされた昭和四五年七月三一日以降現在に至るまで継続して宅地すなわち建物の敷地及びその維持若しくは効用を果たすために必要な土地であったと認めるのが相当である。

そうとすれば、被告のこの点に関する主張も採用することができない。

二  よって、原告の本訴請求は理由があるからこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 原田敏幸 裁判官 木納敏和 武宮英子)

別紙〔略〕

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